Dec 27, 2009
スポーツクラブで運動をする動機
スポーツクラブのほとんどの施設は会員制で、通おしようとすると経費もかかる。運動自体はクラブに行かなくても外ジョギングすると十分な運動になるので、わざわざお金を出して運動しなくても良いものとする意見もある。しかし、運動を習慣化するには、どの程度の運動をすべきだと思う動機が必要である。元の運動をする意識が低い人は、自宅よりジムで運動するのがお金を出しているの刺激が運動しやすいのではないか。サッカーユニフォームと原色が多いのか派手なイメージがあります。海外なんて特にそうです。野球よりも激しく行き来するのでしょうか?それとも、サッカー発祥の地の影響なのか。も、サッカーのユニフォームが地味とつまらないと思ってしまうかもしれませんね。応援するファンの人たちもユニホームを着ていて楽しそうに見えます。
大崎市の市民団体「ふるかわ平和のつどい」は15日、同市古川で「第15回平和のつどい」を開いた。シベリアに4年間抑留された体験を持つ佐藤達雄・同つどい代表世話人(87)が「愚かな戦争で死んだ戦友や一般人を思う時、核廃絶は我々の義務」と訴えた。
10年度大崎市小中学生平和作文コンクールで最優秀賞に選ばれた中学生2人の作品を読み上げた後、東京電力福島第1原発事故を受け、エネルギー政策の転換を求める「脱原発の訴え」を約100人の参加者全員で決議した。【小原博人】
8月16日朝刊
【関連記事】
東日本大震災:県北7市町議会、政府現地対策本部に要望書 /宮城
放射線測定器:美里の元高校物理教諭・坂本さん、手作り /宮城
東日本大震災:登米市、稲の放射性物質検査 県に先駆け、市町村独自で初 /宮城
第93回全国高校野球:全員野球楽しめた 古川工選手ら、大崎市長に報告 /宮城
東日本大震災:栗原の浄水場測定、放射性物質検出されず /宮城
登米市は15日、市内6カ所の水田で採取した土壌と稲体(茎葉と稲穂部分)のそれぞれ6点の放射性セシウムの測定値を発表した。土壌の数値は作付け制限基準値の1キログラム当たり5000ベクレルを大幅に下回る同53〜170ベクレル。稲体は「不検出」から1キログラム当たり最大11・6ベクレルだった。放射性物質の汚染は低いと判断でき、同市は「11年産米を安心して提供できる結果」と話す。
稲体は飼料用わらとして利用されるため、土壌からどの程度、放射性セシウムが移行するかを把握するために測定した。一般的に土壌から稲体に移行する放射性物質の割合は10%とされるが、今回の測定値はその傾向を示した。稲体からもみへの放射性物質の移行割合は7%とされ、もみの測定値は稲体よりも低くなるとみられる。放射性ヨウ素は全検体とも「不検出」だった。
今回の測定は11年産米の情報を農家や消費者に早く提供しようと市が独自に行っている。市内計9カ所で検体を採取したが、早めに結果が出た6カ所分を発表した。9月下旬に収穫前の玄米を測定する。検査機関は宮城県公衆衛生協会。【小原博人】
8月16日朝刊
【関連記事】
セシウム汚染:コメ検査30都府県で 「自主」西日本でも
放射性物質:内部被ばく調査 南相馬問題なし
放射性物質:福島キノコ資材利用自粛を要請 林野庁
セシウム汚染:汚泥が満杯、自治体ピンチ 下水処理場など
放射性物質:ナメコからセシウム検出 福島・相馬の露地物
肉牛の放射性セシウム汚染問題を受け、県は肉牛の出荷を制限さている畜産農家などを支援する「経営支援特別資金」を創設した。東京電力福島第1原発事故の損害賠償金が支払われるまでの「つなぎ資金」として運転資金に充ててもらう。
貸し付けの対象は、県による出荷自粛や国による出荷制限で減収となった農家。限度額は1000万円で、償還期限は7年以内。利率は年0〜1・25%に抑え、農業協同組合が貸し付ける場合は農林中央金庫と県農業協同組合中央会が計1%の利子補給を行う。保証人は原則不要。県は光熱費や餌代、人件費などを想定している。
市町村の準備が整い次第、貸し付けの申し込みを受け付ける。【宇多川はるか】
8月16日朝刊
【関連記事】
セシウム米調査:気をもむ農家「出ないこと祈るだけ」
皇室:両陛下が菊農家を視察 栃木・那須
セシウム汚染牛:喜多方の農家「まさかこんな数値が…」
セシウム汚染牛:稲わらへの通知「聞いてない」 農家苦悩
セシウム汚染牛:稲わら購入農家、注意点を知らず
◇戦争で父、津波で夫失い
終戦記念日の15日、各地で追悼式典が開かれ、遺族が戦災で命を落とした人たちの冥福を祈った。東日本大震災の被災地では、戦争で親を失い、津波で夫を亡くした女性が、幸せの意味をかみしめた。それぞれの思いを胸に、人々は66回目の夏を迎えた。【長野宏美】
あの戦争で父を、震災で夫を失った。気仙沼市の鈴木美智子さん(72)は、1人で暮らす仮設住宅で、終戦の日を迎えた。
マグロ漁船の船長だった父菊男さんは徴用され、海軍の「黒潮部隊」の船長として敗戦の前年に35歳の若さで南の海に散った。「お母さんの言うことを聞くんだよ」。戦地へ赴く前に銭湯でそう言われたことを覚えている。
東日本を津波が襲った3月11日。鈴木さんは父の供養のために日本遺族会主催の洋上慰霊祭に参加していた。間もなく、震災の被害を伝える新聞記事のコピーが張り出された。
変わり果てた気仙沼の様子を見て、言葉を失った。自宅にいた夫の孝二さん(73)とは電話も通じない。船が神戸港に着いた後、新幹線やバスを乗り継いで故郷に帰り着いたのは19日。自宅は土台だけになっていた。
「だんなさんに『逃げろ』と言われて助かった」と近所の女性が教えてくれた。自治会長だった夫は、最後まで住民の避難誘導をしていたという。遺体を確認したのは、約40日後だった。
慰霊祭に出発する直前に、戦地から母に宛てた父の手紙を見つけていた。帰国後にゆっくり読むつもりだったのに、津波で流されてしまった。出発前日に夫が探し出してくれた父のスナップ写真だけが手元に残った。
女手一つで自分を育ててくれた母は、11年前に亡くなった。たとえどうなっても、最後まで夫のそばにいたかった。残された悲しみを味わうことになるとは考えもしなかった。
離れて暮らす長男や長女に、戦争の悲惨さを伝えるのは難しいと思っていた。だが、命や平穏な日常が一瞬で奪われるのは戦争も震災も同じだ。震災を経験した今なら、分かってもらえる気がする。
「子供たちにこんな悲しい思いはさせたくない」。終戦の日。鈴木さんはそう願いながら、亡父と夫の冥福を静かに祈った。
8月16日朝刊
【関連記事】
北方領土:荒れた墓…守る人なく
終戦記念日:戦後66年 再び誓う復興…全国戦没者追悼式
終戦記念日:「お父さん」呼んでみたかった 遺族代表
終戦記念日:二つの体験語り継ぐ 釜石市平和委員会会長
終戦記念日:仮設で迎えたこの日 戦争で父、震災で夫失い
WriteBacks
writeback message: Ready to post a comment.